日本は世界的に有名なメーカーが4つもある「バイク王国」ですが、古くからバイク産業が盛んだったわけではありません。いかにして、日本はバイク王国と呼ばれるまでになったのでしょうか。また、そもそもバイクという乗り物はいつ誕生し、どのように今日まで発展してきたのでしょうか。今回は、バイクの歴史について解説していきます。
当ページの内容については、お客様のためのお役立ちコラムとして連載しておりますが、当社はバイクパーキングの運営会社ですので、ページ内容に関する個別対応はいたしかねます。
バイクの誕生
世界初のバイクが発表されたのは、1873年のウィーン万博だと言われています。このときに発表されたバイクはフランスの発明家であるルイ・ギヨーム・ペローが開発したもので、蒸気機関を動力とする二輪車でした。
ガソリンでエンジンを駆動させる二輪車を世界で初めて作ったのは、ドイツのゴットリープ・ダイムラーで、1885年に特許を取得し、1886年に実地運転を成功させています。ダイムラーは、現在のメルセデスベンツの親会社「ダイムラー」の前身である「ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト」の創業者で、世界で初めて自動車を作った人として有名ですが、実は自動車よりも早くバイクを作っていたのです。
このバイクは「リートワーゲン」と呼ばれ、現在のバイクと同じく、ライダーの股下に内燃機(エンジン)が搭載されています。排気量は264cc、最高速度は約12km。フレームもホイールもタイヤも木製で、車両の左右に補助輪のようなものが付いていました。
その後、ダイムラーは自動車の開発に注力することになったため、リートワーゲンは市販化に至りませんでした。世界で初めてバイクが市販化されたのは1894年のことで、ドイツのヒルデブラント&ヴォルフミュラー社(H&W社)が製作したバイクでした。世界初の量産車となったこのバイクは並列2気筒の水冷エンジンで、排気量は1,489cc、最高速度は45kmだったと言われます。
20世紀に入ると、アメリカで歴史的なバイクメーカーが誕生します。後に「キング・オブ・モーターサイクル」と呼ばれるハーレーダビッドソン社です。1903年に、ウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビッドソン、アーサーの兄であるウォルター・ダビッドソンの3人が、単気筒エンジンで排気量409ccの「ハーレーダビッドソン第1号」を製作。その後、1909年にはハーレーの代名詞である「Vツインエンジン」が完成し、量産化を開始します。
日本におけるバイクの歴史
※実際の車種とは異なります
日本において第一号のバイクが生まれたのは、ちょうどアメリカでハーレーの量産がスタートした1909年のこと。大阪の島津楢蔵(しまづ ならぞう)が製作した、4ストローク、排気量400ccの「NS号」というバイクでした。このバイクは、タイヤ以外のパーツはすべて島津が自作したと言われています。
日本における初の市販車は、1913年には宮田製作所が製作した「アサヒ号」というバイクでした。また、1936年には、三共内燃機という会社がハーレーダビッドソン社からライセンスを買い取り、「陸王」という名で国産型ハーレーを生産・販売し始めました。しかしながら、当時、バイクは自動車ほど産業として成長しませんでした。
本格的にバイクが普及するようになったのは戦後になってからです。第二次世界大戦後、GHQの統治下にあった日本では飛行機と自動車の開発が禁じられていましたが、一方でバイクの製造が盛んになっていきます。1947年に、富士重工(現、スバル)が女性でも乗れるスクーター「ラビットS1」を開発。国産初のスクーターとして人気を集めました。1949年には、本田技術研究所(ホンダ)が「ドリーム号」を発売。バイクが庶民の乗り物になるきっかけとなりました。
以後、多くのバイクメーカーが誕生し、一時期は200以上もの会社がありましたが、徐々に淘汰されていき、1968年以降は「ホンダ」「ヤマハ」「カワサキ」「スズキ」の4大メーカー時代に突入します。
国産バイク4大メーカーの起源
※実際の車種とは異なります
ホンダ
ホンダの起源は、1946年に本田宗一郎が創立した本田技術研究所です。同社は、1947年に自社製の「ホンダA型」というエンジンを完成させます。空冷2ストロークの単気筒エンジン(排気量50cc)で、これを市販の自転車の補助動力にしたのがホンダ最初のバイクでした。見た目も考え方も、現在の電動アシスト自転車と似ています。
その後、ホンダは本格的なバイクの製作に取り組み、1949年には「ドリーム号」が誕生。ドリーム号は排気量98ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載したバイクで、最高速度は50kmという記録があります。ホンダのバイク累計生産台数は1997年に1億台を突破していますが、記念すべき最初の1台はドリーム号から始まっています。
ホンダと言えば、あまりにも有名なのが「スーパーカブ」です。1952年に発売されたスーパーカブは、扱いやすさと優れた燃費、耐久性が評価され、あっという間に世界的に大ヒット。販売台数は累計1億台以上と、「世界でもっとも売れたバイク」となっています。
ヤマハ
ヤマハの起源は、楽器製造を主な事業とする日本楽器株式会社です。オルガン製作からスタートした同社は様々な楽器やオーディオ機器の開発・製造に取り組み、楽器メーカーとしての地位を確立してきます。戦後、1953年には工作機械技術を活用して二輪車事業に参入。1955年には日本楽器から独立する形で、オートバイの製造販売会社として「ヤマハ発動機株式会社」が設立されました。
同年、ヤマハの初号機バイクとして「YA-1」が誕生。YA-1は当初「楽器屋のバイク」と揶揄されながらも、レースで大活躍したことで高い評価を獲得していきます。YA-1はデザイン面でも洗練されており、おしゃれで高性能なバイクとして人気を集めました。
カワサキ
カワサキの前身は、1896年に造船会社として創業した川崎造船所です。同社は多角化経営によって、船舶の川崎重工、鉄道車両の川崎車輛、航空機の川崎航空機へと分離します。戦後、二輪用エンジンの供給をおこなっていた川崎航空機は、メイハツという車両製造の子会社を設立し、バイクの製造に着手。そして、1954年にカワサキ初のバイク「川崎号」が誕生します。
川崎号はスクーター型のバイクでしたが、大きな成功は収められませんでした。カワサキの名が知られるようになったのは、メグロ(目黒製作所)を吸収した1960年頃からです。1965年には、メグロの伝統を引き継いだ「カワサキ500メグロK2」を、1966年には「650W1」を、そして1972年には「Z1」を発売し、カワサキは本格的なスポーツバイクメーカーとしての地位を確立していきます。
スズキ
スズキのルーツは、1909年に創業した織機メーカー、鈴木式織機製作所です。同社は将来、自動車事業へ参入する足がかりとしてエンジン搭載自転車の開発に着手します。
スズキ初のバイクと言われるのが、1952年に発売した「パワーフリー号」です。これは、空冷2ストローク単気筒の補助エンジンを自転車に搭載したものでした。翌1953年には、パワーアップした「ダイヤモンドフリー号」を発売。月間6,000台を生産する大ヒット商品となり、以降、スズキはバイクメーカーとして確固たる地位を築いていきます。
まとめ
バイクの歴史に触れてみると、今乗っている愛車が、長い歴史によって培われた技術・ノウハウの産物であることを実感できると思います。
現在のバイク業界は、ガソリンに変わる動力源として電気や合成燃料が採用されるという大きな転換期にあります。業界そのものが大きく変化するタイミングだからこそ、バイクの歴史を振り返ってみるのもおもしろいのではないでしょうか。
当ウェブサイトに掲載された情報の利用により発生した又は当該情報に基づき行われた行為により発生したいかなるトラブル・損失・損害に対しても、当社は責任を負いません。